恵泉ディクショナリー
歴史の中で「成る神」歴史文化学科
[れきしのなかで「なるかみ」]
歴史の中で「成る神」とは
ユダヤ民族が使うへブル語は、極めて特色のある言語です。22の子音があるだけで母音がありません、右から左に書きます。一番の特徴は時制が完了形と未完了形の2つしかないことでしょう。乱暴に言えば、時制が過去形と未来形しかないというものです、つまり現在形がないのです。これは厳しい世界ですよ、過去と未来しかない、現在もうすでにしてしまったことと、未だしていないこと、この二つの考え方しかないというのです。例えば今椅子に座っている、これは過去形です、座っている今もへブル語では過去形なのです、座っている事実の後に座っているという意識が続くからです。ユダヤ人のイメージする神、実はこれは完全に未来的神なのです、出エジプト記3章14節に「わたしはある。あるという者だ」という神の自己定義の言葉がありますが、これはギリシア語から日本語に翻訳される過程で現在形が採られたものです。厳密にへブル語から直訳すると原文は未完了形なので「私は歴史の中で、成るものであろう」となります。どこかに座って場所を持つ存在する神「在る神」では決してなく、未来的時間歴史のなかに現れる「成る神」なのです。彫刻のような存在ではなく、音楽のように流れる時間の中に現れる神と言えるでしょう。
2012年06月28日 筆者: 岩村 太郎 筆者プロフィール(教員紹介)