イタリア旅行で「青の洞窟」を訪れる観光客は多い。小舟に乗って狭い入り口から洞窟に入ったときに見る青一色の世界は、確かに美しい。青の洞窟そのものは大昔からあったはずだが、意外なことに、その発見は新しい。1826年、カプリ島を訪れたドイツ人芸術家たちがこれを見つけて、「青の洞窟」と命名した。これをきっかけに、カプリ島観光ブームが巻き起こる。これまた意外なことに、現代と違って、その頃のカプリ島観光のハイシーズンは冬場であり、結核の療養地としても知られていた。
青の洞窟はここまでとして、別の場所のことを書く。青の洞窟の反対側、島の東端にはヴィッラ・ジョビス(Villa Jovis)がある。カプリの町からは、曲がりくねった小道を2キロほど歩かなければならない。ヴィッラ・ジョビスはカンパネッラ岬の上に建っていて、崖下には紺碧の海が広がる。
ヴィッラ・ジョビスはローマ帝国第2代皇帝ティベリウス(前42-後37)の別荘であった。カプリ島は断崖絶壁の島であるから、身辺護衛の上でも都合が良かったのであろう。ティベリウスは晩年になると統治への意欲を失い、子供の死をきっかけにカプリ島に移り住んで快楽の限りを尽くした、とスエトニウスは伝える(『ローマ皇帝伝』)。カプリ島で晩年の10年間を「孤独な隠棲を勝手気儘に享受し」たティベリウスが、再びローマに戻ることはなかった。その間、悪評は広まるばかりで、ティベリウスの死去に際して「民衆は狂喜し」たと言われる。
ヴィッラ・ジョビスの廃墟に立って辺りを見渡すと、これら遙か昔のことも一場の夢にしか思えない。カプリ島の夏は賑わうが、ここを訪れる人の影はまばらである。代表的なガイドブック『地球の歩き方』では、わずかに「星一つ」に評価されている。
恵泉ディクショナリー
青の洞窟歴史文化学科
[あおのどうくつ] Grotta Azzurra
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2012年08月29日 筆者: 高濱 俊幸 筆者プロフィール(教員紹介)
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