古典の大作を読むには

以前このブログで長~い小説を読むのが好きと書きましたが、もちろん、それでも読み通せない長編というのはたくさんあり、「名作」「古典」と称される長編大作などは読んだものの方が少ないくらいです。たとえばトルストイの『戦争と平和』はあまりの長さとロシア人名のわからなさに手が出せずにいました。昨年、テレビドラマになったものを夢中で見て、話の流れがわかったし、登場人物の関係もだいぶつかめたので、よし、これなら読めるかも、と勇んで第1巻を買ったのですが・・・。2巻半ばであえなく撤退・・・。

『戦争と平和』に限りませんが、ボリュームのある名作などでは抄訳・ダイジェストという形をとったものがあります。子どものころに読んだ『ああ無情』(今このタイトルを知っている人は一定の年齢以上でしょうか)『レ・ミゼラブル』のいわばダイジェストですね。子どもの頃にダイジェスト版をけっこう読んだせいか、ダイジェスト、抄訳に偏見(?)を持ってきました。子ども向けだ、中途半端なもので読んだ気になるなんて、とか、きちんと読まなくては作者の思いは伝わらない、とか。どうしても「お手軽」「安直」みたいなイメージがあったのです。

某出版社が名作古典の抄訳を文庫のシリーズで出したものをしばらく前に図書館で受け入れました。そのときはあまり気に留めなかったのですが、その出版社のPR誌を読んで私の偏見が打ち砕かれました。そこでは抄訳としてきちんとした作品になるようにいかに翻訳者が工夫・苦労をしたかが語られていました。そうなのです。抄訳を読んでおしまいでもいいですし、そこでの感動をバネに完全版に飛び込んでもいいのです。PR誌にすっかりあおられ、いや、励まされ、まずは『戦争と平和』に取りかかろうかなと思っているところです。  (M)