手紙
先日ある作家の展覧会に行ってきました。初版本や折々の写真なども興味深いものでしたが、私にとっての「目玉」はたくさんの手紙。編集者や先輩作家などいろいろな人たちに日常の出来事やお礼、お詫びなどの手紙をしたためています。小さい字でびっしり書いてあり、おまけにガラス越しなので展示ケースに貼りついてもよく見えないのですが、雰囲気は伝わってきます。ふと思ったのは、これからこのような展覧会では何を展示するのだろう、少なくとも手紙や肉筆原稿の展示というものはほとんどできないだろうな、ということ。一定のフォントの中に収められ、用が済めば削除され、消え失せる・・・。
数日後、以前に録画していた舞台『シラノ・ド・ベルジュラック』を見ました。この作品では手紙が重要な役割を果たします。手紙につづられた美しい愛の言葉。最後の手紙には涙のしみと血の痕。この涙のしみからある重大な秘密が明らかになるのですが、それはまた別の話。
私は手紙を書くのが好きで文通(ひょっとして死語??)もしています。このごろは手の痛みから、以前よりもさらに悪筆になっていますが、それでも手書きの文字から伝わるものがあると思っています。何よりも手紙をもらう喜びがあります。折も折、1000万通を超えるメールが届かずに消失したというニュースがありました。もちろん手紙だって届かないこともあるし、焼いたりして処分されればそれきりです。でもメールは一瞬にして跡形もなくなるという「軽さ」に空しさのようなものを感じてしまうのでした。 (M)