無人 (?) 直売
先日、某美術館へ向かう道の途中で、「青梅直売 →」の手書き看板を発見。ちょうどTVの料理番組で青梅ジャムの作り方を見たばかりだったため、16時の予約時間を20分過ぎていることは気にせず矢印にしたがう。
閑静な住宅街に突如現れた畑。その隣が直売所だった。といっても、かなり広めの個人宅だ。門の木戸が半開きになっており、裏側に置かれた台上のかごにきれいな青梅が1 kgずつ、3袋入っていた。「代金(450円)は郵便ポストに入れてください」との貼紙。小銭の持ち合わせが無く、手にした青梅をかごに戻してひとまず美術館へ急ぐ。
18時過ぎに再訪すると、青梅が一袋だけ残っていた!だが、それだけではなかった。15 m先の母屋から商品を手に取る様子が見えるよう、台の向きが変えられていた。さらに、先ほどまでは無かった自家製の梅干やら漬物が台の上いっぱいに並んでいた。補充の速さはコンビニ以上だ。
「売り場」が整えられていたことで、初回の行動を見られていた事に気付いた。その瞬間、無人の直売所らしからぬ緊張が走る。家の中から様子をうかがっている方のために、450円を手に広げて確認し、ミュージアムショップの封筒に入れてポストへ。青梅を手に取り、お宅に向かって深く一礼してから帰途についた。
あの緊張感の正体は何だったのだろう。疑いをかけられた "かもしれない" 切なさと、監視されているという思い込みに過ぎないのではないか。梅が実るまでに、毎年どれほどの労力が費やされているかを知らないが、「梅仕事」の手間暇はおおよその見当がつく。そこには、梅の木を大切に思う気持ちと、食べる人への思いやりしかない。
Oさんの青梅のおかげで、ジャムは美味しくできた。後味の酸っぱさと手に負った軽いやけどに、反省を促されている気がした。(N)