オリンピックのレガシー(日常編)
1月の土曜日の夕方、帰宅途中の地下鉄駅でのことだった。自動改札の少し手前で、左後方からかすかな音が聞こえた。振り返ると5メートルほど後ろの床にコート姿の若い女性が倒れており、動く気配が全くなかった。一瞬の事で理解が追いつかず、その場に立ち尽くしてしまった。通りかかった女性がすぐに「大丈夫ですか!」と声をかけながら介抱し、もう一人の男性が駅員室に駆け込んで救助要請をしているのを確認してからホームへ向かった。
とっさに反応できなかった事が悔やまれ、帰宅後に家人に話したところ、意外にも要救護者を発見した時の手順をすらすらと説明された(AEDの使用法を含めて)。思い当たることがあった。家人(79歳)は半年前の東京オリンピックのボランティアに応募し、昨年春頃から様々な講習を受けていたのだ。目標を持つと人は変わるもので、英語が苦手で関心も無かったはずだが、気づくとラジオの英語講座を熱心に聴く姿があった(NHKのドラマに似た実話です)。
結局、夏の大会は無観客開催となり、主に道案内等を行うボランティアの出番は無くなった。それでも、要救護者への対処方法は忘れていなかったようだ。
オリンピックの影響を思いがけない形で実感したが、倒れていた女性の無事を祈りつつ、機会を見つけてAEDの講習を受けようと密かに決意した出来事だった。(N)