戦争と卒業式

 先日、今年101歳になるという方の戦争体験を聞く機会がありました。山口県柳井市在住の町田保さん、1943年に19歳で大学に入学した直後、学生の徴兵猶予が停止され、10月に明治神宮外苑競技場で行われた出陣学徒の壮行会に参加されています。
   町田さんはその年の12月に入隊し、翌年9月、南方幹部候補生隊としてインドネシアのスマランにあった兵学校で訓練を受け、見習士官となり実戦部隊に参加。タイ北部の山中で、インパール・ビルマ戦で敗退した多くの兵士を目撃されたそうです。あるとき、比較的元気な兵士に戦況を聞くと、「我々がここまでたどり着けたのは、力尽きて倒れた日本兵の骨が白骨となり、それが街道となって我々を道案内してくれたおかげです」と語ったとのこと。
   恵泉女学園大学に「戦死者たちからのメッセージ」と題した、武田美通さんの鉄でできた作品群が保管されていますが、その中に「白骨街道」という作品があるのです。お話しを聞きながら、あれはそういうことだったのだ、とその作品がまぶたに浮かびました。
   私が町田さんに「戦後、何をなさいましたか」と尋ねると、「復学しました」と言われました。私の質問は、戦後どんな職業につかれたのかという意図でしたが、その答えを聞いて、腑に落ちるものがありました。お話しをうかがった後でアルバムを見せていただくと、卒業式に贈られた言葉の記事の切り抜きが貼ってありました。南原繁東大総長の言葉でした。
   私は、太平洋戦争末期、19歳から22歳までを学生、士官として過ごし、生還して卒業を果たした一人の青年が、ここに生きて在るという事実に圧倒されました。記事によるとその年の東大の卒業生は2,054名でした。
   町田さんの手記『百歳への行進』を図書館にご寄贈いただきましたので、多くの方に、手に取って読んでいただければと思います。                                                                                   (T)