香港で歴史と政治のゆかりの地を歩く
6日目(2月25日)は、香港における日本人のゆかり地とイギリス人の居住地を訪問しました。香港の二日目も気候に恵まれて、昼間は日差しが強く、あたたかい1日でした。午前中は、香港と日本の歴史を研究している高さんとともに、香港市内にある外国人墓地を歩きました。香港競馬発祥の地、香港島にある跑馬地(Happy Valley)競馬場近くにある外国人墓地は、敷地はとても広く、公園のように整備されていました。そこには、イギリス人を始め、イスラム系、ロシア人など約12000人の民間人(一部、アヘン戦争時のイギリス人水兵の犠牲者が安置)が眠っているそうです。お墓の形が様々で、色々な国の人が香港で亡くなっていることを目で確認することができました。墓地の山の上にある日本人墓地の区域には約400名の日本人が眠っているそうです。明治時代以降、1945年頃まで軍人や商業人などが何らかの理由で香港に寄り、亡くなっていたことに不思議なゆかりを感じました。外国人墓地を訪れて、何人かの個人背景を聞きながら、香港には多くの人々は、政治的自由や経済的繁栄を目指し、移動してきたことを確認することができました。近くのホテルで久しぶりに西欧風の料理を食べて、午後は香港島の最南端に位置するイギリス人の居住地「赤柱(スタンレー)」という地域を訪問しました。「スタンレー(赤柱)」は、美しい海や自然に囲まれ、オシャレなレストランやパブが軒を連ねる、まさにヨーロピアンリゾート地でした。中国雑貨や衣料品など出会える「スタンレーマーケット」やコロニアル調の洋館「マレーハウス」などには多くの観光客でにぎやかでした。一方、近くの赤柱馬抗公園にある海水浴場の砂場がイギリス軍と日本軍が、それぞれ香港占領のとき、上陸した場所であることを聞き、沖縄FSでも米軍上陸場所がきれいな砂場であったことを思い出しました。「スタンレー(赤柱)」は1941年日本軍と戦って亡くなった兵士たちのお墓や刑務所(イギリス当局の刑務所であるが、日本占領時代にイギリス兵士の捕虜収容所として利用)がある場所として、政治的なゆかりの場所であることも知りました。
(国際社会学科4年 M.K.)

