私たちは11月27日の土曜日、学外授業で「横浜人形の家」と「海外移住博物館」に行きました。人形の家では『海を渡った人形たち』という特別展を見ました。1927年、日米関係の悪化を懸念したアメリカ宣教師ギューリックが次世代の子供たちに希望を託して世界児童親善会を設立、日本に12万体を超える人形を贈ったのです。「青い目の人形」と呼ばれながら全国に送られ、日本からも返礼人形がアメリカに渡ります。 しかし、戦争になると、小学校の校庭で「偽りの仮面をかぶったスパイ」として槍で突かれ、焼かれて失われてしまいます。 難を逃れた人形や返礼人形(日本人形)の里帰りの展示を見て回りました。
Nさん(2年生)「やはり、人形の家が印象的でした。世界各国の人形をみて、人形は、材料も、衣装も姿勢も、肌の色もすべて、その国の文化を象徴していると思いました。だから、あからさまな敵意が小さな人形にむけられたのだと思いました。」
Aさん(3年生)「アメリカからの人形のように生活の中で一緒に遊ぶ人形と日本からの返礼人形のように、鑑賞用で間接も動かない人形など、用途の文化差もありますね。」
Kさん(2年生)「展示ケースには「教師が拾い、隠していた」などのメモが添えられていました。子供たちに鬼畜米英と教えるのも、隠して保管したのも、大人たちなのだと思いました。」
Fさん(2年生)「わたしも、国と国との関係が悪くなったからといって、子供たちに人形を槍で突かせるような、偏った教育をしてしまうことが恐ろしくなりました。」
Aさん「アメリカでは返礼人形が保護、保管されていたことをおもうと、当時の日本の視野の狭さ、このような行為が2度と起こらないようにと思いますね。」
Nさん「海外移住資料館では2国間だけではなく、さらに、多くの国との関わりの歴史を覗える展示をしていて、お互いに相手国の文化を理解し、良い部分を引き出しあいながら交流していくことを謳っていました。」
Vさん(3年生)「海外移住資料館は、苦労を乗り越え、日本人が世界各地で活躍しているという展示でしたね。人形の家という博物館の名前も面白いと思いました。「家」の中の人形たちは皆幸せに並んでいて、人形のように、戦争がなく、平和な世界を作っていきたいと思いました。」
Kさん「先輩たちにお話しが聞けてよかった。中華街をあるきながら、仲良くなれて、アドバイスをもらいました。」
では閉めを3年生から
Aさん「2年生との交流は新鮮でした。熱心な様子、楽しそうな様子、これからもその気持ちを忘れずに頑張ってほしいです。」