4月10日、国際社会学科では新入生と教員の親睦を兼ねて、長野県上田市にある「無言館」への日帰りバスツアーに行ってきました。「無言館」は、志半ばで戦死、戦病死した若き画学生たちの遺作、遺品を収蔵、展示する美術館です。収蔵品は、館主である窪島さんが全国の遺族のもとを訪ね歩いて集めたもので、110人、約700点にも及びます。ほとんどの新入生は、「無言館」を訪問するのははじめて。彼女たちの感想の一部を紹介します。
「美術学校に通えていたことや、自分の好きな絵を描いていたことに対して、うれしくて全体的に明るい茶色にしたのでしょう。召集がかかり、逃げられず、自分がやることは決まっていることから木々に覆われた林の中の一本道を描いたのだろうか。今後の自分がどうなるかわからない不安から、道の先は何も見えなくなっている。」(佐藤孝『林の道』を観て)
「作者は、このような当たり前の日常に戻りたいと思って、この絵を描いたのだと思う。この絵の女性は若いから好きな人かもしれないし、兄弟だったかもしれない。また、口をかたく結んでいるから作者を戦争に送り出す悲しみをこらえているのかもしれない。」(興梠武『編みものをする婦人』を観て)
「椎野修という人が、どんな画家になりたかったかが知りたい。無言館には、椎野の画学生時代の集合写真があった。そこには藤田嗣治のとなりで自信に満ちた表情を浮かべる彼がうつっていた。なんということだろう。藤田は「アッツ島玉砕」を日本軍の要請で描いたという。おびただしい死体のモチーフには、私自身フィクショナルなものを感じてしまう。それに比べ、椎野の「小休止」はひとり横たわり束の間の休息をとる兵隊を描いている。真実を切り取ったかという尺度で見れば、椎野に軍配があがるのではないか。南の島で本当に玉砕してしまったこの画家の作品が、戦争画という枠組みでもっと論じられる機会はないのだろうか。」(椎野修『小休止』を観て)
「無言館では、なかなか『心をうたれる』絵がない、どうしてだろう、私の心が汚れているのだろうか。でも、これ(感想)を書きながら気づいた。心が汚れているのではなく、私の心がついてきていないのだ。あの時間では感じきれないものが、今こころにすっと流れ込んで来た気がする。これが何なのか、うまく言葉にできない。でも、大切にしまっておいて、いつか時が来たら、またひっぱり出して考えてみたい。感じてみたい。」