「1」「5」から、「武器」としての英語へ 英語コミュニケーション学科
2021年11月18日
ゼミ/授業名:桃井ゼミ
現在の私は「英語コミュニケーション学科」の教員ですが、元々、写真家として、ドキュメンタリー作家として、世界140カ国を訪れ、様々な社会問題の現場【紛争、戦争、環境破壊、飢餓など】を取材してきました。
これらの経験を基に、今「世界はどのように動いているのか?」「地球はどのような状況にあるのか?」を学生たちに伝えています。それが私の担当する「表現力実践講座」や「国際情勢論」などの授業要旨です。
グローバル化した現在の世界では、国や人種、文化や歴史の違いを越えた高度なコミュニケーション能力が求められています。そうした能力の獲得を目指した恵泉の「英語コミュニケーション学科」では、「英語」+「コミュニケーション」というキーワードで、多彩な経歴を持つ教員が、きめの細かい教育を実践しています。
私が担当するこのブログでは、世界の取材の現場で多様な人々と出会い、交流を重ねた経験から見えてきた「コミュニケーション」を改めて考察します。
高校の時まで「赤点」まみれの落ちこぼれでした。
1970年代の終わりの都立高校では、団塊の世代が築き上げた「自由な校風」が行き過ぎたとの反省から、徹底した「管理教育」をスタートさせていたのですが、私が入学したのは、そんな「管理教育」のモデル校実現のために新設された都立高校で、他の学校から見学に来る教育関係者も少なくありませんでした。先輩がまったくいないピカピカの一期生だったのです。
当然、毎朝校門には筋骨隆々の体育教員が立ち、生徒の制服検査がありました。髪型や髪の長さはモノサシを当てられた上でミリ単位でチェックされ、少しでも違反した者は、「別部屋」へと誘われました。当時の部活では、竹刀を使った体罰は日常茶飯事。部活中は「水を飲む」ことが禁止され、今では禁止されたウサギ跳びの嵐。根性こそ、最上の教育と考えられていた時期で、授業の勉強はただ覚えることが中心。それができない生徒は落ちこぼれの烙印を押されたのです。
歴史の授業でも「意味なんか分からなくていい、年号は覚えろ!」と強要されるばかりの授業に、私は1ミリの好奇心もくすぐられなかったのです。高校3年間はだから寝て過ごし、つけられたあだ名な「3年寝太郎」というものでした。
押しつけ教育が嫌で嫌で、どうしようも無かった私は、大学に行くつもりなど皆目なかったのです。しかし同時に、世界が見たいとの、身体の奥底かわ沸き上がってくる強い衝動は、抑えきれなくなっていたのです。そこで選んだのが、「放浪」という名の海外旅行で、向かったのはアメリカ。18歳の時でした。
高校3年間を寝て過ごしたため英語はまったく話せません。
ホームスティー先の家に到着したものの、英語が片言もしゃべれないアジア人を前にしたホストファミリーのお母さんは戸惑いを濃く顔に浮かべるばかりの有様でした。
そして、一つ一つ単語を区切るようにして、次のように問いかけてきたのです。
What is your favorite fruit?
頭の中で、ホストファミリーのお母さんか訊いてきた英語を翻訳しました。
「What」は何。
「your」 はあなたの、それに「favorit」は好き、fruitは日本語でもフルーツ。
つまり、『あなたが一番好きなフルーツは何ですか?』という意味なのだと辛うじて理解できた18歳の少年は、意味が分かった嬉しさから、右手の親指と人差し指を合わせて丸くする日本流のOKサイン※を作り、直立不動のまま口を開きました。
I like one five.
この答えにお母さんは目を丸くしました。
通じなかったと思った私は繰り返した。
I like one five.
私のこの答えの意味はおわかりでしょうか?
さて、それほどまで英語が話せなかった私ですが、その3年後にどうにか大学に潜り込むことができました。そして大学では、寝る時間も削り、アルバイトもせずに、ひたすら学問と格闘する日々を送る日々を送ったのでした。
そこまで変われた理由は、大学で出会った素晴らしい先生方の存在でした。大学では、たとえ歴史であっても、年号など覚える必要がないこと、「勉強」と「学問」は違うものだと徹底的に教えられたのです。
学問とは、原因と結果の間のプロセスを、エビデンスと共に考え抜くこと。もっと言えば、真っ白な紙の上に、自分だけの道を描き、自らの力で前に進むこと。これこそが学問のダイナミズムに他ならないのでしょう。
それだけではありません。結局6年通った大学では、好奇心のまま、休みのたびに「世界史&現代史の現場」に足を運び続けました。飢餓の現場であり、紛争前後の世界、冷戦構造下の地球だったのです。
それが可能になったのも、「one five」の少年が、「武器」としての英語を身に纏っていったから。道具として、コミュニケーションの手段として言葉をどのように使いこなすのか。
このゼミ連載では、『コミュニケーション』を様々な角度から思索します。
(※右手の親指と人差し指を合わせて丸くする日本流のOKサインは、国によって異なる意味を持つことから、海外では使用しない方が良い)
担当教員:桃井 和馬
恵泉女学園大学特任教授 写真家、ノンフィクション作家 これまで世界140ヵ国を取材し、「紛争」「地球環境」「宗教」などを基軸に「文明論」を展開している。テレビ・ラジオ出演多数。第32回太陽賞受賞。公益社団法人「日本写真家協会」会員。主要著書に「和解への祈り」(日本キリスト教団出版局)「もう、死なせない!」(フレーベル館)、「すべての生命(いのち)にであえてよかった」(日本キリスト教団出版局)、「妻と最期の十日間」集英社、「希望の大地」(岩波書店)他多数。 大学では、「表現力実践講座」「国際社会論」「国際情勢論」などを担当。