ゼミ生たちが教えてくれること〜"My dream is to be a cabin attendant."~ 英語コミュニケーション学科

2022年11月13日

恵泉生活20余年、そう話す学生たちと毎年のように出会ってきました。

その多くは、本当にエアラインに就職していきました。
JALやANAといった日系だけでなく、エミレーツのような外資系までです。

姉妹ともに英語コミュニケーション学科で、同じ会社のCAになった人たちもいます。
就活しているうちに、CAではなく、グランドスタッフになることにした人や、系列会社で働くことにした人たちもいます。

誰もが学業はもちろんのこと、スポーツで体を鍛えたり、サークルなどでリーダーをつとめたり、従業員教育で評判のあるアルバイト先で接客を経験したり、忙しくしていました。

そして、このゼミで学んで夢を叶えていった先輩たちのことをきいて、私のところにきた学生も少なくありませんでした。

日系アメリカ人である私は、偏見や差別といった困難に遭遇した日系人の経験を題材に授業をしています。
ゼミの授業は英語で行いますので、自然と学生同士が助け合い、学び合う形になっています。
中には、卒業課題や論文を書くという目的のために、教員やゼミ仲間を巻き込んで行動した学生たちもいました。ゼミ生たちの企画で、日系人の足跡をたどるハワイへの研究旅行が実現した年もあります。

外国語で、文献等を読み、指導を受け、考えを論文にまとめるのは、苦しい作業です。
彼女たちは、それに果敢に挑戦し、成し遂げていきました。まさに、羽ばたいていったような気がします。

苦労を経験し、乗り越えられたとき、さらなる目標に向かってチャレンジできる人間に成長することもあるのです。

先人たちだけでなく、恵泉の学生たちが私に教えてくれることです。

担当教員:Ken Fujioka

I have a Japanese name and I've lived in Japan for a long time. However, I am an American. My great grandfather was born in Yamaguchi Prefecture. In 1894, he and his wife emigrated and worked in Hawai'i. They returned to Japan but his oldest son, my grandfather, remained in Hawai'i with his family there. His oldest son, my father, was also born in Hawai'i. In Japanese, I am a 日系四世。My family history is interesting because it follows some important events in world history such as the Meiji period, World War II and Showa period. As a result, I designed a history course about Japanese Americans. I am an American but I was born in Nigeria. How is that possible? Although I was born outside of the United States I was a citizen by birth because my parents were also Americans. After Nigeria, I lived in Turkey, Japan, Indonesia, Brazil and Thailand. By the time I entered college I had lived in seven countries. Through my overseas experience I learned many things about each country such as languages, customs, foods and so on. For these reasons, I designed a course about understanding cultural differences.

Ken Fujioka