「女性が社会で生きていく」こと 〜フェミニズム文学と「生涯就業力STEP」授業〜 日本語日本文化学科
2023年02月20日
ゼミ/授業名:近現代文学特講・中村ゼミ
日本語日本文化学科で教員をしております、中村晋吾です。
私が恵泉女学園大学に赴任して約一年が経ちました。振り返ってみて一番印象に残っているのは、ファシリテーターとして参加させていただいた全学必修科目の「生涯就業力STEP」の授業です。
この授業は女性の「凛として、美しく生きる女性の生き方を磨く」という目的のもと、教員や卒業生、また地域社会でさまざまな活動に携わる人たちの活きた声を聞き、それをクラスメイトと議論し合う過程を通じて「今・この日本で女性が生きていく」ことの現実そのものを、決して理想論や教訓的なものではなく、実感として身につけていくことができるものです。
「生涯就業力STEP」の授業に携わらせてもらい最も印象に残ったのは、ジェンダーギャップ指数116位(2022年度)という日本の現状、そしてその構造そのものの歪みがどのように形成されているか、という問題意識が繰り返し提起されたことです。
私のように日本で男性として研究者をしてきた者はどこかこの問題への認識が希薄な部分があり、理屈では理解をしようとしてきたことでも、女性たちが実際にどのようにこの現状に苦闘しているか、見えていない、あるいは無意識に目を逸らしている部分があることを知り、目から鱗が落ちるような思いをすることが何度もありました。
2年生向け「生涯就業力STEPⅢ」の一環として「多摩市での子育て」をテーマにした授業では、大日向学長から「子殺し」がいかに社会の中で行われてきたか、また「子への責任」がいかに女性にのみ負わされてきたかについてのお話がありました。イスラエルのオルナ・ドーナトの『母親になって後悔してる』(新潮社)が紹介され、社会そのものの中に、女性に「母親になること」を強要するシステムが存在することを学びました。
この話を聞いて私が思い出したのは、同じ榎本マリコによる装画でも知られる、韓国のチョ・ナムジュの小説『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)でした。近年映画化されたものが話題となっているこの作品では、社会あるいは家庭の中で「妻」が当然のごとく負わされるさまざまな重荷や、当然のこととされる男女の不均衡の構図が、キム・ジヨンという一人の女性に憑依するようにして語り出されます。そしてそうした女性の「声」を、男性中心的社会では一つの「狂気」として片づけてしまうという非常に恐ろしい、しかし強烈なリアリティを伴う展開があります。
韓国のフェミニズム文学のアンソロジー本は日本でもいくつか出版されています。『韓国・フェミニズム・日本』(河出書房出版)がその一つです。ここにはいわゆるフェミニズム文学から連想される「テーマ小説」的なものにとどまるものではなく、エンターテイメント性の高い、それでいて見えない家父長制の問題に切り込んだ短編が多く収録されています。家父長制が強固な韓国では、こうしたフェミニズムの盛り上がりが顕著であり、と同時にインターネットを中心にした、それに対するバックラッシュ(反動)も展開しているといいます。
現状として韓国と非常によく似たような社会の構図(女性の社会参加が叫ばれる一方、やはり家父長制的なものが残り、またネットを中心に"女叩き"が展開する)があると思える日本では今の所、ここまでの「フェミニズム文学」の盛り上がりは、一見して未だ大きくないのかもしれません。しかし近現代文学の研究者として私は、本谷有希子、村田沙耶香、小川洋子、津島佑子、また古いところでは林芙美子、岡本かの子、吉屋信子のような作家たちの中に、そのような要素を読み取ることができると考え、授業での読解を試みています。
例えば講義科目では、「近現代文学特講」で津島佑子の『光の領分』(講談社)を取り上げました。この作品では、夫から突然別れを切り出され、二歳の娘と二人で生きていくことになった女性の姿が描かれています。夫を始めとするさまざまな干渉や「現実」のしがらみに直面しても、逃げることなく向き合い、何度も疲弊しつつも、決して自分と娘の「領分」は譲り渡すことなく生きていくシングル・マザーの姿に、学生からの反響も大きかったです。
また今年度のゼミでは「女性の近現代文学/近現代文学における女性」のようなテーマを設定して、学生たちが任意に選んだ作品について発表をしてもらいました。中でも、やはり最近映画化されて話題になった、湊かなえの『母性』(新潮社)をめぐる三年ゼミのある学生の発表は、「母性」というものが実体的なものではなく、見えない亡霊のような特殊な強制力によって、女性たちを束縛するものであることを、強く印象づけてくれるものでした。
これらは、冒頭で書いた「生涯就業力STEP授業」で勉強するような内容に直結するものだと感じています。
恵泉女学園大学での学びの強みは、決して「タコツボ化」したものに終始しない、活きた社会のあり方を、理屈として「知る」のではなく「感じ取る」ことができることだと思います。
これまで宮沢賢治ばかりを追いかけてきたと言っても過言ではないため、まだまだ不勉強な私ですが、学生の皆さんと一緒に、今後も少しずつでも着実に勉強していくことができればと思います。
※4年間を通じた「生涯就業力STEP」授業の全体像については、大日向雅美学長のブログ「学長の部屋」2022年10月10日号もご覧ください。
担当教員:中村 晋吾
私は宮沢賢治という作家を中心に勉強してきました。賢治は、宇宙の小さな砂つぶとしての地球、そしてそこに住む一つの生命としての人間と、それぞれが生を営んでいる環境のあり方の関係について、繰り返し問い続けた作家です。SDGsが叫ばれ、また、さまざまな「人類の危機」が懸念される現代ですが、地球という場所で自然と向き合いながら、人類全体の可能性と問題を大きく捉えようとしていた賢治の視座は、今まさに必要なものであると考えます。賢治が、「ほんとうの幸い」を求めていたのかを、探求していきたいと思っています。