人間環境学科(現代社会学科)では、秋学期の教養基礎演習のなかで学外に出て学ぶフィールドトリップを実施しています。片倉ゼミでは、「富士山の自然と人々とのかかわり」を学ぶため、1月下旬に一泊二日で富士吉田市と河口湖町を訪れました。
富士吉田は富士山の登山口の一つであり、富士山の度重なる噴火の影響をうけたり、古くより富士山信仰にかかわる地域社会が形作られてきました。富士山自身がどのようにして現在の様な美しい形になったのか。また、噴火に伴って周囲の環境にどのような影響を及ぼしてきたのか。富士山の地質や高度差による植物の垂直分布やそこに生息する動物など自然も多く残されたところであり、本学科での学習の場としてふさわしい場所の一つと考えられます。交通も都心からの高速バスが利用できるため、比較的アクセスしやすい場所です。
授業ゼミ紹介ブログ
富士吉田フィールドトリップ 現代社会学科
2014年06月02日
投稿者:片倉 芳雄
ゼミ/授業名:教養基礎演習II(片倉ゼミ)
Tedゼミ 英語コミュニケーション学科
2014年05月12日
投稿者:4年 守谷
ゼミ/授業名:Tedゼミ
恵泉英語コミュニケーション学科テッド先生のゼミでは、ユーモアについて扱っています。普段の授業では、ディスカッションを中心に、パロディ、擬人法、風刺など様々な視点からのユーモア、その社会的影響、文化的背景などを考えます。
京都フィールドトリップ 現代社会学科
2014年04月28日
ゼミ/授業名:教養基礎演習II(武田ゼミ)
人間環境(現代社会)学科では、後期の教養演習の中でフィールドトリップ(FT)と呼ばれる短期の社会調査に出掛けます。FTの内容は担当する教員の専門領域にしたがって様々です。武田徹ゼミでは授業期間終了後の1月末に一泊二日の京都FTを実施しました。
FTのテーマは全員共通のものが二つと各自の自由研究がひとつ。全員共通テーマのひとつは国際京都漫画ミュージアムを訪ねてマンガやアニメの歴史を知ること。マンガやアニメは、ただ趣味で読んだり、見たりするのではなく、メディア研究の対象になります。今回はその基礎固めとしてミュージアムに展示されている一世を風靡したマンガ作品をキュレーターに解説して貰いながら見て回りました。
もうひとつの共通テーマは、京都のカフェめぐり。カフェ=コーヒーサロンはメディアの歴史の中で重要な存在です。たとえば1688年頃にロンドンのタワー・ストリートに開店したコーヒー・ハウス「ロイズ」がひとつの先駆けとなり、カフェに様々な人が集まって話題を共有したことが「公論」を誕生させ、近代的な新聞メディアの誕生をも促したといわれます。カフェはそれ自体が人と人をつなぐメディアであり、マスメディアを生み出す苗床の役割も果たしました。京都は、東京と違って個性的な喫茶店が多くあり、常連客に愛されている街。そんな京都のカフェは、どのように人と人を繋ぎ、どのような文化を育んできたのか。実際に京都のカフェを訪ねて考えてみるのがFTのテーマです。
そして、個人研究テーマは各自で決め、秋学期ゼミの後半を使って事前調査した内容に応じて実地調査に当たります。たとえば昔ながらの「町屋」はどのように残され、利用されているのか、京都の都市計画はどのように進められているのか、喫茶店での照明はどのような空間を演出しているかなどなど。一泊二日で忙しいスケジュールですが、みな活発に、一日乗車券などをフル活用しつつ、冬の京都の街を駆け回っていました。
写真:京都国際マンガミュージアム。明治の雑誌や戦後の貸本などの貴重な歴史資料や現在の人気作品、海外のものまで約30万点を収蔵。研究者の研究にも対応してくれます。
京都駅ビルは地上16階の屋上まで屋外階段で上れる巨大な舞台のよう。夕食後に屋上で記念撮影しました。
富士山フェロシップ 歴史文化学科
2014年04月14日
投稿者:高濱 俊幸
4月10日、晴れ。今日は歴史文化学科の特別フェローシップ、学科の1年生全員が教員といっしょに富士山を見学に行く日です。多摩センターのいつもの学バス乗り場に集合し、バス2台に分乗して出発。途中は渋滞もなく、予定よりも少し早めに目的地に到着しました。最初に訪れたのは、富士ビジターセンター。富士山は昨年世界遺産となりましたが、世界中から集まっている観光客の姿に、そのことを実感することができました。
「原爆文学」の講義に関連して 講演会「長崎1945.8.9からのバトン」が開かれました 日本語日本文化学科
2014年01月16日
日本語日本文化学科の講義科目「日本文学特殊研究Ⅱ」(篠崎美生子准教授)では、この半年間、原爆をテーマとした文学作品や映画、マンガを、受講生とともに読んできました。原民喜「夏の花」、永井隆「長崎の鐘」、井伏鱒二「黒い雨」、中沢啓治「はだしのゲン」、林京子「祭りの場」、井上ひさし「父とくらせば」(映画は黒木和雄監督)――それらは、被爆がどれほど人の心身を痛め続けるかということを、私たちに教えてくれます。どんな理由があっても、こんな非道があっていいわけがない、と叫びたくなります。しかし、同時に、被爆体験のない私たちが、被爆の痛みを分かったつもりになって発言してよいものだろうかというためらいは、私たちの心の中に残っていました。