庭づくりのワンポイント

ヒドコート・マナーガーデン(Hidcote Manor Garden)その1

2012年02月16日

イギリスの庭園の歴史を見ると、イギリスで生まれたひとつの様式の庭園が国内で次々と作られ、その様式の庭園が国外にも作られていくという、イギリス庭園史上のハイライトとでも言うべき時期が2度ある。そのひとつは18世紀のイギリス風景式庭園で、もうひとつは20世紀のボーダー花壇を備えた花の美しい庭園である。風景式庭園はイギリス国内ではローシャムパーク、ストウ、ストアヘッドなどがあり、日本では新宿御苑の中にイギリス風景庭園とよばれる日本で唯一の庭園が設けられている。一方、ボーダー花壇を備えた花の美しい庭は現在のイギリスの各地にあり、夏に多くの人が日本から訪れるのは主にこれらの庭園である。いくつかの名を上げると、ヒドコート・マナー、シシングハースト・キャッスル、ウィズレーガーデン、ナイマンなどよく名の知られた庭園が含まれている。日本でも恵泉蓼科ガーデン、バラクラ・イングリッシュガーデン、アンディー・ウィリアムガーデン、紫竹ガーデンなどの名が上げられる。このコーナーでは、これから何回かに渡ってこれらの花の美しい庭園を取り上げて紹介する。今回はこの様式の庭園のさきがけとなったヒドコート・マナーガーデンを紹介する。

1.庭園の歴史
ヒドコート・マナーガーデンはイギリスの中部にあるコッツウォールズ地方の北端に位置する。1907年から40年間をかけてローレンス・ジョンストン(Laurence Waterbury Johnston, 1871-1958)によって作られた。ジョンストンはアメリカ人で、フランスで少年時代を過ごした。中高等学校時代の途中からイギリスに住み、大学はケンブリッジで学び、卒業後イギリスに帰化した。軍人となって第1次大戦では少佐として戦い、負傷して引退し、36歳の1907年からヒドコート・マナーの作成に取り掛かった。ヒドコートのある4haの土地は母親が古い館付きの土地を購入してジョンストンに与えたものであった。
ヒドコート・マナーはジョンストンが存命中の1948年にナショナルトラストが購入する最初の庭園として、その管理下に移り今日に至っている。

2.庭園の構成
ジョンストンによって造られた庭の構成は今日も維持されおり、20世紀に作られた同じ構成をもつ庭園のさきがけとしての特徴を確認することが出来る。
その構成には古代から20世紀に至るまでの様々な要素が取り込まれていて、一般には「折衷式庭園」とよばれている。庭園は次のような特徴がある。

(1)庭園が生け垣で小庭園に分けられていて、それぞれの小庭園が個性ある構成となっている。また、小庭園は独立した空間となっているので秘密の花園的なロマンチシズムをもたらす。これは中世以前から伝わる古典的な庭園の要素である。

(2)ガートルード・ジーキル(1843-1932)によって始められたボーダー花壇が庭園の中心部に置かれている。特に、ヒドコートのボーダーは強い赤色の花で構成されていて、色彩に独自の特色を出している。

(3)フランス式庭園で見られるような四方形に形を整えて刈り込まれたアメリカシデの高木の列植が直線にならび整形庭園の要素が取り入れられている。また、鳥の形に刈り込まれたトピアリーも置かれて、中世から伝わる古い庭園の要素も見られる。

(4)広い芝生地が設けられていて、都市の公園のような開放感が得られる。
また、庭園の一角からハーハー(空堀)越しに、羊が草を食むコッツウォールズの田園風景が望まれ、そこには風景式庭園の情景が展開している。

(5)庭園の広い部分にウッドランドとよばれる落葉樹の林が広がり、半日陰を好む植物が植えられている。春には、葉が落ちて太陽光がよく届く地上では、早春の球根類が真っ先に花を咲かせる。

(6)館の近くには温室が置かれ、野菜園が作られている。温室にはゼラニウムのような冬の寒さを嫌うものが育てられ、菜園には家庭で食べる普通の野菜が育てられている。

この様に変化に富んだ庭園であるので、訪れる時は十分な時間を取ってゆっくりと見ていきたいものである。次号では、庭園を廻りながらそれぞれの小庭園を紹介していく。

Hidcote(National Trust)

長い芝生の散策路。

赤い花のボーダー花壇

鳥の形をしたセイヨウイチイのトピアリー

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