神々の島と呼ばれるインドネシアのバリ島では、9世紀から1000年以上の伝統があるスバックと呼ばれる独特な水利システムがある。スバックは、バリ・ヒンドゥー教の哲学で、神、自然、人間の密接なつながりを説くトリヒタカラナを体現したものといわれている。
バリ島の南斜面に広がる19,500ヘクタールにおよぶ棚田地域が、2012年6月にバリ島で最初の世界遺産として登録された。それらは、バトゥカル山林保護区内ジャティルウィ地区(タバナン県)、タマンアユン寺院(バドゥン県)、パクリサン河川流域(ギャニアール県)およびウルンダヌ・バトゥール寺院(バンリ県)の五ヵ所である。
スバックとは、堰によって分水された一つの水系につながる水田の所有者・耕作者によって構成される慣習的な水利システムであり、伝統的で素朴な技術を使い、すべての耕作者に平等に水を配分するための機能を有している。
いずれのスバックにも、それぞれ寺院があり、取水堰にも石製の祭壇が設えられている。水の利用に関わる活動だけではなく、稲の女神デウィ・スリ(Dewi Sri)や水の神とされるブタラ・ウィスヌ(BrataWisnu)に対して豊饒儀礼など祭祀活動を行うための組織でもある。
定期的に開かれるサンクパン(sangkepan)と呼ばれるスバックの寄り合いで、スバックの長を互選するほか、田植え時期、耕作に関わる義務、平等な水の分配に関するルール、盗水などの違反行為に対する罰則、また宗教儀式への参加義務などの合意事項が定められる。
スバックの構成員がこうした合意事項を遵守してきたことで、持続的な水の利用が維持され、バリ島の棚田における独特の生態系と生物多様性が保全されてきた。
インドネシア政府は、世界銀行やアジア開発銀行などの支援を受けて、ジャワ島などにおける灌漑施設の整備に際して、バリ島のスバックに基づく水利用・水管理の手法の適用に取り組んできた。しかしながら、この試みは、ほとんど成功には結びつかなかった。その理由としては、バリのスバックは宗教を含む生活規範すべてに関わっているのに対して、ジャワ島での試みは、スバックの一部分の水の利用・水管理のみを機械的に適用しようというものであったことがあげられる。
谷本 寿男(国際協力論)