サンティアゴ巡礼道を歩く学生たちの様々な思い

2020年03月06日

サンティアゴ巡礼道プログラムは、2月10日~3月25日の期間をかけて、世界遺産としても有名なスペインのサンティアゴ巡礼道を約800キロ踏破するというプログラムです。本学から5人の学生が参加しています。
第9弾となる今回の報告では、5人の学生がこのキリスト教の巡礼の道を毎日歩き続ける中で何を感じ考えたのか報告します。

尊い命を頂くこと

2月21日
国際社会学科 1年 嶋野美晴

2月19日、4羽のニワトリを絞めた。

前日までは、自分の手で絞めることはもちろん、その様子を見ることすらしようとしていなかった。自分が生きるために命をもらっているという現実を見たくなかったからだ。

当日、私は最後の1羽を絞めた。
命を頂いている身として、その重さを知るために、自分で命を絶つとはどのようなことか考える義務があると思ったからだ。

ニワトリは何度も何度も鳴き、翼を羽ばたかせた。
生きたいという意志を感じて、命を奪わなければいけない罪悪感と私自身がニワトリの命を握っている事実に混乱した。

血を出し切ったあと、10秒ほど80度前後のお湯で茹でる。その後すぐに手作業で毛を抜いていった。
つい10分前まで毛を抜かれる度に生きたいと叫ぶかのように鳴いていたニワトリは、当然、動きも鳴きもしない。

自分が1つの命を奪ったという事実に、震えが止まらなかった。
毛を抜くと、少し前まで動物として認識していたニワトリは鶏肉になった。
足を切り、頭を切り、内臓を取っていくうちに、ニワトリの面影は一切無くなり、料理ができた時には、「この鶏肉はさっき殺したニワトリなんだよね」とメンバーが言ったのを聞いて、ようやくニワトリだったことを再認識するほど違和感がなかった。

生きたいと鳴くニワトリの命を、自分たちが食べるために絶ったことに対しての1番のお返しは、感謝しておいしく頂くことだと思う。
普段の食事でも、生きたいと意思表示している動物の命を奪ってしまっていることを受け止め、感謝しながら尊い命を頂きたい。

歩く楽しさ

2月22日
英語コミュニケーション学科1年 松本千佳

これまで、歩くことでなにがわかるのか、発見できるか、楽しめるのかと疑問に思っていた。

今は車も電車など移動手段はたくさんあるのに。

今日はブルゴスのカーニバルを見るために90キロのバス移動。

「歩きたかったなぁ」

バスに乗って初めて、自分が歩くのを楽しんでいたことを自覚した。

歩き始めると、景色も空気も気持ちよくて本当に楽しい。

毎日見かけるブドウの木が、両手を広げてピースして私たちの巡礼を歓迎しているように見えたのでハピネスの木と名付けた。それが、バスの車窓からの風景ではただの木にしか見えず、とても寂しく、悲しかった。

バスに乗ったことで、歩いてこそ感じることのできる自然や風景があることに気づかされた。

朝、歩きたくないなと思うことも、歩き出してから足にできたまめが痛くてつらいと思うこともある。

だけどバスに乗って、自分で思っていた以上に、自分が歩くこと(巡礼)を楽しんでいるとわかった。

日本では、風が強い日や日差しが眩しい日に外に出るのが嫌で、1日の殆どを室内で過ごす生活。

巡礼で、空が青くて広いこと、豊かな自然に身を置くのがとても気持ちが良いこと知った。

これまで自分は狭い世界で生きていた。

気候変動に対しても、そもそも自然環境に興味がなかったので問題意識はあまりなかった。
便利な技術に囲まれた生活で、文明だけで人間の過ごしやすい環境を作ることが可能だと思っていた。
日本では、背の高い建物に遮られて、風や太陽の光などの自然を、全身で感じることが少なかった。

スペインに来て、自然を全身で味わう感覚が新鮮だ。
豊かな自然を五感で浴びて、この自然を残していかなければいけないと強く思った。
歩いていると、畑や花、牧草地が広がっていてスペインの土地が豊かであることがわかる。日本と比べて山もなだらかで、作物を栽培しやすいから食料も豊富。

一歩先にはアフリカで砂漠が広がっている。
歩いて世界を知るという桃井先生の言葉が少しずつ理解できているような気がする。

今後も歩く意味について考え、自分と向き合い続けたい。

変えられないもの

2月23日
社会園芸学科3年 桝居奏

私の身体に変化があらわれた。

両足かかとにマメができたのだ。
大きさは500円玉ほど。

痛い。ただただ痛い。
頭の中はそのことで一杯だ。

基本的にできたマメは自分で処理をすることを、事前のレクチャーで教わっていた。
私もアルベルゲについてすぐ自分の針でマメの中の水を取る作業をした。
だが、かかとの皮は厚くなかなか水は抜けきらなかった。

依然として痛みが続いた。

その夜アフターミーティングの後「明日はマメが痛くて歩けないかもしれない。タクシーで行く事も考えています」と報告した。

桃井さんにマメを見せると、まだまだ処理が甘いという。
「これは明日には治るマメだ。俺がやってあげよう」
私は明日には治るなんて信じられなかった。
「ここで水を抜いておけば必ず良くなる」
マメの処理を桃井さんにお願いした。

そこまではよかった。
問題は、自分で触るのも痛いマメを他人に任せるという恐怖。
しかも針で処理するのだ。

怖かった。

結果、私はみっともなく泣き叫びながらマメの処理を受けるかたちになった。

容赦なく桃井さんは水を抜く。
何度も針が刺さる。
恐怖と針の感覚を叫ぶことで紛らわす。

「痛い!...痛い!」

見苦しく泣き伏したあと、しばらくベットで放心状態になった。

落ち着いてから、動こうと足を下ろした瞬間わかった。
「痛くない」
いや、正確には痛みが半減していた。

信じられなかった。
あんなにみっともなく泣いたのに。
いまはただ驚くばかりだ。

次の日、私は歩くことになった。
行程は約30km。

始めはとにかく痛かった。
痛みが半減しているとはいえ、チクチクした痛みが常に響く。
思ったように歩けない。メンバーにはとてもついていけず、速度を極限まで落とし痛みを感じないような歩き方を徹底した。

とにかく歩き続けた。
喋りかけてくれたメンバーとの会話を断ってでも集中して歩く。

道のりは長く感じた。
カフェで長めの休憩をすることになり、私は靴を脱いで足を休ませた。

休憩後、靴を履いて歩き始めて思った。
「あれ、歩けるかもしれない」
次の瞬間にはある程度の速度まで上げて、メンバーについていくことができていた。

驚きの連続。
なんであんなに痛かったのに。
あんなに泣き叫んだのに。

もう普通に歩けている。

途中で桃井さんにこんなことを言われた。
「変えられないものを受け入れる努力をしなくてはならない。タクシーを使うとあなたは言った。だけど、使わなくても歩けた」

私はその言葉を真摯に受け止めた。
簡単に諦める選択をしていたかもしれない。

足の痛みはもう変えられない事実だった。
その痛みを直視することをしようともしていなかった。

今回はマメだったが、もしかしたら他の「変えられないもの」を、同じように直視しないということもあったかもしれない。

旅を始めてもうすぐ二週間。
まだまだ発見があるような気がする。

目的地

2月24日
英語コミュニケーション学科2年 後藤茉里

スペインの巡礼道を歩き始めて気付いたことがある。
道ゆくスペインの人びとは、40Lのザックを背負い、全身スポーツウェアを着る私たちをみると「Hola!」と陽気に声をかけてくれ「Buen Camino!」(良い巡礼を!) という言葉を贈ってくれる。
その言葉に励まされて、どんな道も歩むことができた。
スペインの人はみんな、暖かな対応をしてくれ、それが当たり前のようにも感じていた。

しかし、宿に着きザックを下ろしてスーパーや街に出ると、集団のアジア人に対する警戒を感じる。それは巡礼道を歩いているときには一度も経験しなかったことだった。

彼らは、私たちがどこから来たのかは知らないが、私たちがどこへ向かっているのかは知っている。
それ(巡礼)がスペインとスペインの人びとにとってどういうものなのか、少し垣間見られた気がする。

目的地に限らず、目指す方向に共感すれば、人はその取り組みに賛同するということを学んだ。

生きている、生かされている

2月25日
国際社会学科2年 山本遥

ここ何日かずっとお腹が痛くて、まともにご飯を食べることができていなかった。お腹を壊したこと、ストレス性胃炎、生理痛と吐き気が一気にやってきて薬を飲み込むのがやっと。
自分でも、どれが原因でお腹が痛いのかよくわからないほどだった。

本当に辛かったし、体調の管理が出来ていない自分に無性に腹が立っていた。けれど、そのおかげで気づけたことがある。私たちは「たくさんの人や生命、そしてこの地球に生かされている」と言う事だ。

私が今日歩くために飲んだ痛み止めや胃薬にも、巡礼を歩くために使っている装備にも多くの人が関わっていて、地球上の資源が使われている。
その資源の1つである化石燃料はかつて古代を生きていた生物たちだ。
私たちが歩くため、生きるために摂る食事は他の生命を頂いていて成り立っている。私たちが絞めて食べた鶏も、今の私たちをつくり、私たちを生かしてくれている。

前のブログでも書いたように、私たちは命をいただくことでしか生きられない。私たちも他の生き物と変わらずに地球上の生命の循環の中にいることを忘れてはいけないのだ。地球上の全てのものが関わり合っているのではなく、繋がり合っていて私たちが生きているということを今回のことで強く感じた。

今回が4回目の巡礼だというメンバーのダバンテスさんがずっと「カミーノに歩かされている」と言っていた。それがどういう意味だったのかも分かった気がする。カミーノを支えている人がたくさんいるからこそ私たちはこの巡礼を続けることができるし、サンディアゴ巡礼の文化は守られ続けているのだ。

男性苦手意識からの脱却

2月26日
国際社会学科1年 嶋野美晴

私は中学3年間、容姿のことで主に男子生徒からいじめを受けた経験がある。高校、大学は男性から離れたいと思った私は女子校に進学し、女性とだけ関わりを持っていた。男性と深い話をすることもなく、女性とだけ話して考えを深めた気でいた。

サンティアゴ巡礼道プロジェクトは恵泉女学園大学(女子大)と桜美林大学(共学)のジョイントチームで、メンバーには3人の男子学生がいる。
私は、容姿や考えを男性にどう思われているのかが不安で、壁をつくり、逃げて話すこともしようとしていなかった。
みんなで集まって話しているのに、関わる恐怖からその場に行けなかったり、すぐに部屋に戻ったりと、関わりたくないという気持ちを前面に出していたため孤立することも多かった。

変わるきっかけは、メンバーが協力してくれたことだった。私のトラウマを知った上で無理矢理にでも輪に入れようと、私と男性メンバーの架け橋になってくれた。
おかげで今は男性メンバーに対してもっと知りたい、理解したい、考えたいと思えるようになった。
みんなが話している場にも難無く自分から行ける。男性メンバーと話すことで、私や女性視点からの意見とは全く違う意見が聞ける。とても刺激的で価値観を広げることが出来る有意義な時間になった。
完全に苦手意識がなくなった訳では無いが、自分から話そうと思えるようになったことが成長だ。
凝り固まった女性視点から脱却して、広い視界で物事を見たい。

再認識

2月27日
英語コミュニケーション学科1年 松本千佳

巡礼が始まって約2週間。
日本とは全く違う生活だが、良い意味でも悪い意味でも、この生活に慣れてきている。

朝、ミーティングでリーダーがこの巡礼に来た理由をもう一度再確認して歩いていこうと話してくれた。
そのあと歩きながら自分の目的を思い出してみたが、漠然と直感で決めたことなので、「本当にこんな理由で巡礼に来たのか」と自分の中で納得できないでいた。

1つは自分を変えたかった。大学に入ってからどうしたら良い人間関係を保てるのか、自分のありのままを受け入れてくれる友人はできるのか、ずっと悩んでいた。巡礼に来たら自分のありのままで接してくれる友人ができるかもしれないという期待があった。
2つ目は自分が何かに挑戦して結果を残したかった。
3つ目はジェンダー問題について男性とも議論したかった。
アフター・ミーティング(夜、巡礼宿で行うミーティング)などで、「まだ肩の力が抜けていない」、「ありのままを出せていない」と言われることが何度かあった。
凝っているってどういうことだろう?と歩きながらずっと考え続けていたり、メンバーにその言葉の意味について何度も相談したりした。
メンバー同士で話し合う場で、自分の意見があっても今まで自分から言おうとしなかった。

中学校、高校時代に自分がいじめられた、いじめてしまった経験が何度かあった。

自分の意見を言うことで責める側・責められる側のどちらかについてしまうのではという怖さと、自分が何かを伝えようとしても、話すことが苦手なので伝わらないかもしれないという諦めが心のどこかにあり、自分の意見をずっと閉じ込めていた。

人間関係の築き方や過去の出来事についてなど、普段話さないことに関わりたくなくて避けていたところがあった。

本気でメンバーと向き合いたい、自分を理解してもらえる友人をつくりたいという想いでこのプロジェクトに参加したのに、自分から避けているのは日本にいた時と何も変わっていない。
メンバーにも失礼だった。
私は相手によって話す雰囲気や声のトーンを変えてしまう。昔から人に合わせる生き方をしてきて無意識に今でもやってしまう。
「肩の力が抜けていない」という言葉は、人に合わせることから抜け出して自由になりなさいというメッセージだったのかなと考えた。

前のブログでは、巡礼とジェンダー問題について結びついたことを書いた。
巡礼中、私がジェンダー問題について提起しても何も変わらないと諦めていたが、「あなたには伝えることができる」と教えてくれたメンバーがいた。
そのおかげで、自分が巡礼期間中にジェンダー問題に向き合って何か行動したかったことを思い出した。

3月8日は国際女性デー。
自分が何かを伝える側になりたい。

そのために考え続けたいと思う。

見栄っ張りからの脱却

2月28日
社会園芸学科3年 桝居奏

私の身体に二つの変化があらわれた。

一つ目は足にマメができたこと。
二つ目は肩がこらなくなったことだ。

自分を偽らず素でいることに抵抗がなくなった。
この変化はサンティアゴ巡礼道プログラムの中で最も大きなことだった。

2daysの時から再三、「頑張りすぎている」と言われてきた。
自分自身を隠す仮面を被っていることらしい。

私の歩いている姿だけでわかったという。
頑張りすぎている。だから肩が凝るのだと。

はじめは訳がわからなかった。
なぜなら頑張っている自覚がないから。
というより、頑張っていることは普通のことで、頑張っていないことは堕落していることだと思っていた。

「頑張らないってなんだろう」

自分で考えてもわからない。

頑張らない。
努力しない。
我慢しない。
辛抱しない...。

それって私にはできない気がする。
自分に我儘すぎるのではないだろうか。
わからないなりに考えてみた。
歩く姿からまずは考えてみよう。

気を張らない。
スペインに来て感じた、のんびりした雰囲気を真似てみた。

そしたら段々自分は身体のあちこちに要らない力を入れていることが、気にしながら歩いてみてわかった。
要らない力を抜くことを意識して歩くようにした。

ところで、「肩がこる」というのは日本人特有の表現らしい。
日本人だけが肩こりになる。

なぜか。

日本人は集団意識が強いのだ。
集団での協調性を大事にし、常に他人の機嫌をうかがい、自分の意見を押し込めてみんなに揃って行動する。

自分をよく見せようとすることを「見栄を張る」という。
どこか無理をする結果、反動として身体に不調が出てくる。
その一つが「肩こり」なのだ。

私もどこかで見栄を張っていたのだ。
みんなより優れていたい。
良い人だと思われたい。
勝ちたい精神が強いねと言われたこともある。

桃井さんに、「チーム内では素でいなさい。その方がその人の内側から輝く素晴らしい人になる」という言葉をいただいた。
頑張らないとは、余計な見栄を張らないということだったのだ。

このことに気づいてから、歩くことも含めて、全体的に気が楽になった。

自分を隠さない。

包み隠さず笑う、話す、泣く...。
こんなに楽しいなんて!

「魅力的になったね」と言ってもらえるようになった。

内側から輝く人。
私はカミーノを歩くことによって素晴らしい人に近づいている、そんな気がするのだ。

写真のDave Monasteryさんについて

国籍 アメリカ
年齢 68
巡礼に来た動機
11月に旅行で妻とスペインに来た。
その後モロッコ、イスラエルなども周り、再びスペインへ。
妻は帰国したが、私は冬の寒さを避けるためスペインに残り、巡礼を始めた。

サンティアゴ巡礼を始めた理由は、自然が好きで、チャレンジすることも好きだから。
2018年には、自転車で北米を北から南へ500キロの道を走った。
私はカトリックのクリスチャンで、自分のそのアイデンティティーを知るためにも歩きたいと思っていた。私自身、歳はとっているが、心は若いんだ。私はカミーノを歩くことによって素晴らしい人に近づいている、そんな気がするのだ。

サンティアゴ巡礼道プログラムについては学長の部屋でも紹介しております

東京新聞に今回のサンティアゴ巡礼道プログラムの記事が掲載されました。

引率者の桃井和馬先生による過去の巡礼道体験記が昨年12月にNHKで放映されました。
こころの時代~宗教・人生~「戦場から祈りへ」

本学は海外プログラムが盛んで、「国際性」の分野で3年連続 首都圏女子大1位の評価をいただいております。

本学はキリスト教主義の大学として礼拝やチャペルコンサートなど多彩な活動を行っています。

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