サンティアゴ巡礼道プログラムの終了に寄せて
2020年03月18日
すでにご報告いたしました通り、サンティアゴ巡礼道プログラムは2月10日~3月25日までの予定でしたが、スペインで新型コロナウィルス感染が本格化する兆しが見え始めていたため、予定を切り上げ、3月8日に参加者全員無事、成田空港へと帰国しました。
プログラムの終わりが近づいている時期に、学生が何を思い考えたのか報告します。
また、引率責任者の桃井和馬教授のメッセージもお読みください。
自分に厳しく
3月1日
国際社会学科2年 山本遥
約38km歩くと決まったのは一昨日のこと。「わかりました、頑張ります」とは言ったものの歩ききる自信はなくて、当日も不安でいっぱいだった。しかしどうしてこんなに不安なのか、その理由は分かっていた。
「できない理由ばかり探している、それは甘えだ」
言われた言葉が変にしっくりきて、悔しいけれどそういうことなんだと思った。できない理由ばかり探しているから不安がいっぱいで、もう充分頑張ってるだなんて勝手に自分の現状に満足してしまっていたんだと。それは確かに「甘え」だった。
3月1日、朝6時。
歩き始めは時速6kmくらいのスピードで、真っ暗な道をヘッドライトをつけたメンバー全員がただ黙々と歩いていた。「後ろになると辛いよ、できるだけ先頭のメンバーについて行って」という声に、私は先頭の集団から絶対に離れるものかと心に決め、ひたすらに前の人を追いかけて歩いた。余計なエネルギーを使いたくなくて、不安な気持ちを追い出し、頭を空っぽにしようと試みる。
ライトに照らし出されたメンバーとの間隔を保つ事だけに意識を集中した。
歩いているうちにふと頭がすっきりして、歩いている感覚にだけ意識が向けられるようになった瞬間があった。それはふわふわしていて不思議な感じだったけれど、自分の体の隅々の神経が研ぎ澄まされているのを確かに感じた。
ほんの少しの上り下りにも足元の状況にも勝手に体が対応してくれたのだ。呼吸をするたびに肺に入ってくる冷たい空気は心地良く感じられて、足取りも驚くほど軽かった。
楽しい。
歩くことが楽しい。動くことが楽しい。息をしていることが楽しい。こんなにも楽しいならもっとずっと歩いていたいとさえ思った。いつもは嬉しい休憩が疎ましく感じられるくらい楽しくて仕方がなかった。
そんなふうに思えたのは、普段より速く黙々と歩いてウォーキングハイになっていたからだと分かっているけれど、その状態に入ることができなかったらきっとただ辛いだけだっただろう。それに、ウォーキングハイになる前の一番辛い時が、必死に歩いているうちに過ぎていた事が私にとっては幸いだったのかもしれない。
「どうしてそんなに自分に厳しいの?」
何日か前にそう言ってくれたメンバーがいた。
自分に厳しい?そうなんだろうか。もしかしたらそうなのかもしれない。
私はその時「私は自分が嫌いだ」と言っていた。
やるべきことを出来ない自分、もっと頑張れるのに辛くて諦めようとする自分。他にも嫌いなところはあるけれど、そんな自分をもっと良くしたいと思うから私は頑張ることができているのだとも感じている。
メンバーの言うように「私は頑張っている」と自分を認める事も大事なことで、それが自分の力になるということも分かっている。
でも今日、私は自分に厳しいままでいいんだと思った。というより、多分私は厳しいくらいが丁度いいのだ。自分を認めて、そこで立ち止まってしまうくらいなら進み続けるほうが良い。もっと良くできるはずだと考え続けるほうが良い。
それにもう、自分で自分の限界を決めつけて「ここまでできる」を「ここまでしかできない」にしてしまいたくないと思ったから。
やるのか、やらないのか、結局はそれが問題なのだと分かったから。
私はこれからも自分に対して厳しくいようと思う。
残された時間
3月3日
英語コミュニケーション学科1年 松本千佳
今日は休息日。
世界では新型コロナウィルスの感染が拡大している。
私達は最終日まで歩き続けることができるのだろうか。
答えのない状況に、私も含め不安な表情を浮かべているメンバーも多い。
最後まで巡礼して、メンバーとの時間や自分との時間、そしてスペインという国を満喫したいというのが正直なところ。
だが実際、何が起こるわからない巡礼の毎日は本当に刺激的だ。コロナウィルスのことをはじめとする私たちを取り巻く状況の変化だけでなく、巡礼のなかで自分を振り返ったりメンバーと対話を重ねたりするなかで、新しい考えに至ることがある。
今日考えたことは2つ。
1つは3月8日の国際女性デーについて。
元々、サンティアゴ巡礼道プロジェクトに参加できなかったら、3月前半に行われるCSW(女性の地位委員会)に行くことにしており、プロジェクト参加が決まってからは、巡礼中、私にもCSWに関して何かできることはないかと考えていた。
前回の文章で書いたように、学んできた「女性の貧困」が巡礼と結びつくことがあった。
「より多くの人に女性の貧困について知ってもらいたい」
「自分も伝えていきたい」
3月8日の国際女性デーにメンバーと何か形に残ることをして、普段話さないジェンダーの話題について議論してみようと考えた。
限られた環境・物で私たちも国際女性デーを伝えていきたい。
国際女性デーは、女性の政治的自由と平等のためにたたかう記念の日であり、イタリアでは女性にミモザを贈る日だ。SNSで"国際女性デー"と検索すると、ミモザや黄色いものでお祝いをしている写真がたくさん出てくる。
私たちは黄色い物で食卓を囲もうと、スパニッシュ・オムレツを作った。
コロナウィルスの影響でいつまでスペインに滞在できるかわからないため、一部のメンバーと早めに形に残るものを作ったのだ。
メンバー達と何度も、国際女性デーを伝えるために何を行うのかということや、「女性と貧困」についてだけでなく「女性と教育」、「LGBTQ」についてなど様々な話題について議論し合った。
とても有意義な時間で、今まで学んでいなかった話題についても意見を聞くことができ、刺激を受けた。
今日もう1つ考えたことは、巡礼道を歩いているときに得られるものについて。
何も予定がない休息日を経験して、巡礼道を歩いている時の自分の時間の大切さに気がついた。
毎晩寝る前に自分について考える時間は設けていたが、歩いているときのように自然の中で欲望が少ない状態だからこそ、今まで向き合ってこなかった自分というものに出会えたように思えたのだ。
滞在しているレオンは大都市で、私の欲望を掻き立てる。
自分と向き合う時間よりも、観光などを楽しむことを優先してしまう。人間は簡単に堕落してしまう生き物であることを実感した。
このまま最後まで歩くことができたとしても、サンティアゴ・デ・コンポステーラ到着まで2週間弱。
巡礼生活の終わるタイムリミットが迫ってきている。
1日1日をより大切にしていきたい。
コロナウイルス?
3月4日
社会園芸学科3年 桝居奏
病院に行くことになった。
昨日、3日の夜から咳が酷くなり、市販の薬を飲んでも治まらず、一晩中咳で眠ることもできずに朝を迎えた。
相変わらずの咳、熱っぽい身体、多少の吐き気と酷い眠気。
とても歩ける状態ではなかった。
アルベルゲでお世話になっているおじさんに案内してもらい、同じように咳の症状がでている他のメンバーと、桃井さんと合わせて4人で近くの病院に向かった。
昨今の新型コロナウィルスの影響で咳をすると白い目でみられてしまうため、とにかく咳をしないように抑えることと、咳のしすぎで痛めた腹筋を撫でていたことだけが記憶の片隅にある。
病院に着いてまず受付をするのだが、周りの人達は私たちを見るなり、避けるように距離を取った。
入り口近くにあった移動式の売店も売る場所を変えていた。
隔離されるように診察を受け、結局風邪の症状との診断を受けて帰った。
そう、ただの風邪だった。よかった。
新型コロナウイルスは中国から広まったために、特にアジア人に対する偏見を感じることがそれまでにもあった。
2月11日、私たちが巡礼に来たときには1人だったスペインのコロナウイルス感染者も、3月4日には198人まで増加しており、私たちは常に「チノ、チノ(中国人、中国人)」とか「コロナ、コロナ」と囁かれる立場となっていた。
そのうちバルに入るたび「私たちは日本人で、コロナが拡大する前からスペインにいるからコロナを持っていないよ」といったことを予め言うになっていた。
けれどカミーノ(サンティアゴ巡礼道)には、私たちに偏見持たずに接してくれた方もたくさんいた。
特に、今滞在しているレオンのアルベルゲのおじさん。
私が咳で眠ることができずに起き、どうにか喉を潤そうとキッチンに行った時のこと。
牛乳を冷蔵庫から取り出して飲もうとしたとき、おじさんが私の手から牛乳を取り上げて「温めてあげるよ」と笑って言ったのだ。
そのあとまた起きてキッチンに行ったときには、柑橘類の飲み物と市販の薬をくれた。
さらにまた起きたときに温かいスープを飲ませてくれた。
私は不眠でフラフラな上、咳で上手く返答も出来なかったが深夜でも笑って面倒を見てくれたのだ。
ただでさえコロナウィルスが問題となっている中、見ず知らずの東洋人の私に手を差し伸べてくれた。
どれだけ救われたか分からない。
このおじさんだけでなく、カミーノではたくさんの素敵な人達に出会った。
チームメンバーでも、桃井さんは私のために処方箋を買ってきてお粥を作ってくれたし、メンバーの何人かは体調を心配してくれた。おじさんとの会話を翻訳してくれたメンバーもいる。
改めて「カミーノを歩いているのではなく、カミーノを歩かされている」と言う言葉が身に染みた。
「Muchas gracias」
本当にありがとう。
You & Me
3月5日
英語コミュニケーション学科2年 後藤茉里
サンティアゴ巡礼道プロジェクトに参加する前に書いていた図がある。
小さな丸と大きな丸が一部分だけ重なっている図だ。
小さな丸はデイリーミー=プライベートな自分自身、大きな丸はパブリック=社会を意味する。
そして小さな丸と大きな丸が重なる部分は目の前にいるあなた(=他者)だ。
「社会に対して問題意識を持つことはできるけど自分に対してはどうだろう」
検証するきっかけが毎日あった。
自分自身のこと、アイデアや気づき、悩みを深めていくとそれはいつも社会の問題と繋がっている。
私なりに定義していた「自分」は、「私はあなたであり、あなたは私である」ということ。「you are me」だ。
自分が何か社会の一員だと、共鳴した関係でいたいと願っていた。
巡礼中、目の前にいるメンバーとの関わりで、自分の存在、発した意見や心情がメンバーのなかに吸収されていると感じることがよくあった。
私の言葉や感情を、メンバーが受け取り心から爪先までながれ姿になっているように見えた。
私は相手(あなた、社会)との繋がりを求めながら、自身のことを自分で一番理解していたかった。
社会やメンバー、家族や友人が私との関わりから作った箱のなかにいるのはやりたくないと強く思った。
理解したいけど理解して欲しくない。
言葉にして伝えたいけどしたくない、できない。
そんな天邪鬼な自分は、相手と自分を無意識のうちに差別化することで自分を保っていた。
[もし]
もし私が巡礼に来ていなかったら。
もし私があなたに出会えてなかったら。
もし私があの瞬間を感じられなかったら。
もし私が私でなかったら。
そんなことばかり感じ、考えたサンチャゴ巡礼。
参加する前に勝手に定義していた「you are me」の考えが「you and me」として形を見せてきた。
「you are me」とは、自分自身を深めれば、あなたや社会との繋がりを感じられフォーカスをあたえられると思っていた。
だが、「you and me」としてあなたはあなたでしかなく私は私である。
例えば、私とあなたの性格をそれぞれ"明るい人"としてカテゴライズする。で同じく分類されたからといって私とあなたは繋がるのだろうか。分類して理解、説明をするのではなくただ私は私でしかなくあなたはあなたなのだ。
私が今まであなたと自分を差別化して自分を保ってきたのは、そうしないと自分の個性が見出せなかったからだ。
けれどそもそも分類してから理解する必要はない。
巡礼中、メンバーとの関わりのなかから相手のことをわかったつもりになることはつまらないと思った。
自分の中で勝手にあなたは明るい人と文脈を作って、あなたをカテゴライズした箱の中に入れていた。
巡礼中箱に入れていたメンバーが、自分が作っていた箱の中にいた。
その瞬間を見たとき、はじめて違う箱にいる相手を知った気がした。
その箱にいない瞬間が重なって、そもそもの箱の存在をなくしてあなたと向き合いたい。
相手につくる箱はシャットダウンという壁にもなる。
いまこの想いを文章にしたのは、この文章を読んであなたが私をあなたのようだと何かの繋がりを抱いて、私自身もそうだとやっぱり感じたいからだ。
受け入れる力
3月6日
国際社会学科2年 山本遥
このプロジェクトの中で沢山変えられるものがあると知った。
自分の甘さや、覚悟のなさは自覚することで変えていけると分かったし、自分がやるか否かが問題なんだと再確認する事もできた。
本当に実り多き旅だったと感じている。
けれど世の中には変えられないものもあるということを私達は今、心から実感している。
今年の初めに見つかって、感染が拡大し続けていた新型コロナウィルスの影響は世界中に広がり、スペインも例外でなく日に日に感染者数が増えている。
そんな新型コロナウィルスの影響を受けて私たちは45日間のプロジェクトの日程を2週間短縮し、明日帰国することになった。
決まったのは昨日の早朝。
もしプロジェクトをこのまま続けた場合ウィルスに感染する可能性があることや、このままスペインで感染が拡大すればプロジェクト終了時に無事に日本に帰れないかもしれないことなど、いくつかの理由があって私達は帰国を決断した。
本音は、もっと歩きたい。
もっとこのメンバーと一緒に過ごしたい。
もっとここでこのメンバーから学びたい事だって沢山ある。まだ帰りたくない。
けれど、これは私達にはどうしようもない事だ。新型ウィルスの感染拡大なんて、一個人の力なんかでは止めたくても止められないものだ。
変えられないもの、どうしようもない事がある。
受け入れた上でその時にできる最善を尽くす事しかできないのだと思う。
だから、別に帰りたくて帰るわけじゃないけれど、混乱が広がる今の状況ではこの選択が最善だったと信じている。
神様、
変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を我らに与えたまえ。
変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。
この『ニーバーの祈り』は、学校のキリスト教の授業や桃井先生の授業の中で知った、世界でも有名な祈りの言葉だ。多くの変えられるものに気がつけたこの巡礼の最後に、変えられないものがある現実を改めて思い知らされた。『ニーバーの祈り』をそのまま形にしたようなこの経験は私にとって一生の宝物だ。
成長
3月8日
英語コミュニケーション学科1年 松本千佳
突然帰国が決まった。
スペインを出発する前日、私はいつもと違うことをしてみた。
自分の意見を伝えることである。
1対1のコミュニケーションではできるが、大勢の前だとできないことだった。自分の意見に反論されたり考えの甘さを指摘されたりすることや、何も反応がないかもしれないことを恐れて日本にいるときからずっと避けてきたのだった。
「自分を変えたい」と思いこのプロジェクトに参加したからにはやらなくてはいけない。メンバーのことは信用しているし絶対に話せば聞いてくれるとわかっているのに怖い。話す前「こうゆうことを話したいけど、いつ話せば良いのか、どう話していけばいいのか」と自分で考えるべきことを相談して頼ってしまった。
相談したとき、あるメンバーにルターの名言を教えてもらった。
「たとえ明日、地球が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える」
巡礼はもう終わってしまうけどまだ出来ること、変えられることがあると励まされ、応援してくれるメンバーのためにも自分を変えたいと強く思った。
私が伝えたかったのは、3月8日は国際女性デーで本来なら全員で料理をしたり揃いのTシャツを着て歩いたりしてジェンダーについてみんなで考える日にしたかったが、ちょうど帰国日になってしまったため、日付は違うがスペインを発つ前にジェンダーについて考え話し合いたいということだった。
それと合わせて、巡礼が大学で学んだ「女性と貧困」問題と結びついたことと、私達のTシャツのスポンサーであるゾンタクラブは女性のエンパワーメントを訴えているのでみんなでTシャツを着て写真を撮りたいという気持ちを伝えることができた。
考えを共有したことで男性メンバーともジェンダーの話ができ、メンバーからは「シェルター」についての情報をもらったり、桜美林大学のジェンダー問題の教授を紹介してもらったりした。私のことを「変わったね」と褒めてくれるメンバー、自分の考えを話してくれるメンバーもいた。話して良かった、そして自分は良いメンバーに囲まれているなと思えたし、特に男性メンバーと話して、自分のジェンダー問題に対する気づきや疑問が浅いと実感した。
もし、もっと知っていたら、もっと考えていたら、話もさらに広がったかもしれない。次は後悔しないように沢山勉強して自分の考え、疑問を持ち続けたい。
この時に話せた経験は私の自信になった。
自分が変われたのはメンバーの支えがあったから、だからこそまた再会出来た時に変われた姿を見せられるように帰国してからも自分の意見を伝えることを恐れずに挑戦し続けたい。
「日本に帰ってきた」という実感はあまり湧かないが、スペインで出会った人達の優しさを痛感している。新型コロナウィルスで日本はもちろん、スペインでも感染は拡大して人々は恐怖感に襲われている。帰国後、大きな荷物を見て「海外から来たんだな」と冷たい目で見られることはわかっていたが、やはり実際に体感すると悲しかった。
スペインでは私たちがアジア人で、メンバーの中に咳をする人も多く恐怖の対象でしかないはずなのに、全く気にせずに話しかけてくれたり食事を共にしてくれたりする温かい人たちに囲まれていた。そうして接してもらえたことへの感謝の気持ちが日本に帰って深まった。
足にできた豆で「死ぬほど痛い!」と叫んだり、髪の毛が痛んで泣きたい!と何度も思ったりしたことがあるが、日本に帰って足は綺麗に治り髪の毛も元通りになって、それらはただのかすり傷だったんだと実感した。
巡礼中あるメンバーに教えてもらった歌に「死ぬこと以外かすり傷」という歌詞があり頭に残っている。豆も死ぬほど痛いとその時は思っていたけど歩けなくなることはなかったし、髪の毛が痛んでも何か悪い影響があった訳でもない。日本に帰って、ただのかすり傷に思えた自分に成長を感じた。
これからは2週間の自宅待機だ。スペインにいるよりも日本の生活の方が環境も整っているし、食べたいものを自由に食べることができる。だけど私はどちらか選べるのならスペインの2週間をとりたい。
巡礼することやスペインという国を好きになっている自分がいることに気がついた。
巡礼はまだ終わらない。
日本に帰ってもサンティアゴ巡礼道プロジェクトを振り返って自分と向き合い続けたい。
そしてまた来年、コンポステーラを見に行きたい。
以下は本学教授でプログラム引率者の桃井和馬先生からのメッセージです。
恩寵
2月20日
「恩寵」という言葉は広辞苑(第7版)で次のように記されています。
①めぐみ。いつくしみ。恩遇。
②〔宗〕(gratia ラテン・grace イギリス)
㋐キリスト教神学で、神の恵み。罪を免れることのできない人間に神から与えられる無 償の賜物。
㋑自然的なものに対し、神が与える超自然的なもの。宗教の世界を恩寵の国、啓示を恩 寵の光という。恩恵。
ラテン語から派生したこの言葉は、英語でgraceとなり、神から与えられた無限の恩恵という意味になるのです。
有名な賛美歌にAmazing Graceがあります。私たちの大学で使われる賛美歌21では、日本語タイトル「くすしきみ恵み」(451番)で掲載されています。
この賛美歌の歌詞は、18~19世紀にかけて生きたジョン・ニュートンという人物が作ったもの。
元々奴隷商人だった彼は、しかし、回心を経験し、それまでの人生を悔い、改め、牧師として神の存在を人々に伝える者になったのです。
その過程をこの賛美歌の歌詞として書き記したのです。
魂を削りながら書き記した告白といっても過言ではないでしょう。
私自身、57年の人生を振り返ってみると、本当に多くの人を傷つけてきたことに気づくのです。まさに「穴があったら入りたい」状態なのです。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」(ヨハネによる福音書8章7節)とイエスが言った訳は、罪を犯したことがない者などいないことを伝えようとしたためでした。
これまで多くの人を傷つけてきたことがない人はいますか?
おそらく、まっとうな神経をしている方で、そうした経験がない人はいないでしょう。
逆に、そうしたことはまったくない。私だけは潔白です、と言い切ることができる人は、身の程知らずの厚顔無恥という他ありません。
完璧な人間などいない。だけれども、「欠け」た人間が、その欠けを受け止めることができた時、欠けは他者への優しさになり、慈しみへと昇華していく。それこそが、恩寵であり、くすしき恵みであり、Amazingな出来事なのではないでしょうか。
11人の年齢も、性別も、大学もことなる者たちが、今回のサンティアゴ巡礼では、出会いました。このことこそがAmazing Graceなのだと感じるのです。
スペインを歩く。この場所で、このメンバーで、出会えたのは奇跡なのです。
闘いつづけなさい
2月22日
この言葉を残したのは、パレスチナ出身の思想家であるエドワード・サイードです。2003年に亡くなった彼は、元々パレスチナ解放機構(PLO)の思想的中枢として、イスラエルとパレスチナ難民の和解を説き続けました。
PLOといえば、アラファト議長が有名ですが、しかしサイードがPLOの中で占めた役割は決して小さくはありませんでした。
彼は晩年、権力と富に蝕まれていったアラファトと決別し、アメリカのコロンビア大学などで教鞭を執る傍ら、様々な角度からの和解を実践していったのです。
彼が俳優である娘のナジュラさんに送ったメールの一節が、「闘い続けなさい」という言葉です。
このメールには、次のようなことが書かれていました。
「闘い続けなさい。仲間うちのささいな食い違いなど乗り越えて、ひたすら書いたり、演じたりを休みなく続けていくんだ」(2003年10月20日 『朝日新聞夕刊』)
サイードのこの言葉から分かるひとつのことは、同じ志を持った仲間だと思う集まりの中でも、食い違いは起きるということ。それは夫婦の関係においても同じ。結婚の時には「永遠の愛」を誓うものの、人間の愛に永遠など、所詮、ないのです。だからこそ、異なる人格と関わる時には、違いを違いとして受け止める不断の気力や気遣いが大切になるのです。
サイードのこの言葉からわかるもう一つのことは、闘い方にも様々な方法があるということです。
書くことも闘い、演じることも闘いなのです。
実際、パレスチナ人のサイードは、ユダヤ人の指揮者バレンボエムと共に、紛争当事者たちを集めたオーケストラを作りました。憎しみあっていると考えられている者たちも、ひとつの旋律を共に奏でることで、平和へと一歩ずつ近づいていくという信念からで、音楽がサイードにとってはひとつの闘いだったのです。
ピカソは、ナチスの蛮行に対し、ゲルニカの絵を描くことで闘いました。
チャップリンは、無声映画「モダンタイムス」(1936年)で、非人間的な大量生産社会に対して闘い、トーキー映画「独裁者」(1940年)においては、ヒトラーを正面から非難する最後の4分間の演説により闘い抜いたのです。
2019年暮れ、民放恒例の「The Manzai」において放映された「ウーマンラッシュアワー」の漫才にも腰を抜かしました。ウーマンラッシュアワーの特徴的な芸風は、村本さんの凄まじい早口です。集中しないと日本語とも思えない話し口調ですが、語っていることの意味が理解できるようになると、日本社会の矛盾やほころびを、正面から、ゴールデンタイムの、それも、年末、たぶん最も人気がある番組で語っていることに気づくのです。
あまりに早口で、異様にも感じるその語り口により、会場にいる若者からは、笑い(失笑)が漏れていました。笑いの量からいえば、さすがです。収録会場では確実にウケていたのです。しかし、その内容は原発を巡る問題の数々。その深刻度が理解できるようになるとまったく笑えません。しかしそれこそが笑いの中に鋭いトゲを仕込んだウーマンラッシュアワーの芸。今の日本でそれができる数少ない芸人で、お笑いが彼らにとって闘いだったのです。
上記以外にも、歴史を動かした非暴力の闘いはいくつも挙げることができます。
重要なのは、非暴力を貫くこと。
そして闘い方は無限だということです。
今年の日本の冬は、記録的に暑い冬でした。
地球規模の気候変動を、私たちは今、日常の中で経験するようになってしまったのです。
この現実を前に、私たちサンティアゴ巡礼のチームは、「Climate Crisis(気候危機)!」を歩く上での標語にしました。気候危機と記した旗をザックに付けて、気候危機と記したTシャツを着て、また巡礼宿で出会った人々に「気候危機」と書いた缶バッチも配る予定です。
歩く800キロの道のりは、私たちが考えた、私たちにとっての、私たちなりの闘いなのです。
BRITTA WILLERTさん
国籍 ドイツ
職業 フィジカルセラピスト
サンティアゴ巡礼を始めた理由は、自分自身を見つけるため。
これまでの自分をもう一度、振り返り、人生を考えたい。
夢は自分のビジネスを始めること。
将来はお店を持ちたい。
以下は2月28日(金)~3月8日(日)までの旅の記録です。
2月28日(金)
サンティアゴ巡礼~19日目~
今日の選句de聖句
【見よ、主はその御座を出て、地に住む者に、それぞれの罪を問われる。大地はそこに流された血をあらわに示し、殺された者をもはや隠そうとはしない。】イザヤ書26:21
- 8:05 集合、ミーティング
- 8:20 出発
- 10:00 休憩 in La Morena
- 11:40 休憩 in Fuente Fría
- 15:00 休憩 in Calle la Vega
- 16:00 Albergue Municipal(Albergue)
【距離数:29.3km/歩数:42129/地名:Itero de la Vega】
2月25日(火)
サンチャゴ巡礼~16日目~
今日の選句de聖句
【一代過ぎればまた一代が起こり、永遠に耐えるのは大地。】コヘレトの言葉1:4
- 6:45 集合、ミーティング
- 7:00 アルベルゲ出発
- 9:30 休憩 in Ei Meson
- 11:00 休憩 Los Tusillos
- 14:10 Albergue Puente Redondo(Albergue)
【距離数:21.1km/歩数:36405/地名:Sahagún】
2月29日(土)
サンチャゴ巡礼~20日目~
今日の選句de聖句
【わたしの聖なる山においては、何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。水が海を覆っているように、大地は主を知る知識で満たされる。】イザヤ書11:9
- 8:00 アルベルゲ出発
- 8:30 ミーティング
- 9:50 休憩 in Cordel de Sahagun a Mansilla
- 10:35 休憩 in Santa Clara
- 13:10 休憩 in Pieoras Blancas
- 14:00 Albergue Peregpinos Domonico Laffi
【距離数:17.5km/歩数:25684/地名:El Burgo Ranero】
3月1日(日)
サンチャゴ巡礼~21日目~
今日の選句de聖句
【彼は、「主の呪いを受けた大地で働く我々の手の苦労を、この子は慰めてくれるであろう」と言って、その子をノア(慰め)と名付けた。】創世記5:29
- 6:00 出発
- 6:20 ミーティング
- 7:30 休憩 in Vallecea
- 8:30 休憩 in Las Eras
- 10:50 休憩 in Plaza del Pozo
- 11:45 休憩 in Calle Julián de León
- 12:20 昼休憩 in Bar Córdoba
- 13:45 休憩 in Calle Nueva
- 15:50 Chech in León
【距離数:29.6km/歩数:56499/地名:León】
3月2日(月)
【休養日】サンチャゴ巡礼~22日目~
今日の選句de聖句
【すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。】創世記9:13
- 10:00 集合、ミーティング
- 11:00 各自、自由行動
3月3日(火)
【休養日】サンチャゴ巡礼~23日目~
今日の選句de聖句
【山々が生まれる前から、大地が、人の世が、生み出される前から、世々とこしえに、あなたは神。】詩編90:2
- 8:00 集合、ミーティング
- 8:30 各自、自由行動
3月4日(水)
【休養日】サンチャゴ巡礼~24日目~
今日の選句de聖句
【雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。】イザヤ書55:10
- 8:00 集合、ミーティング
- 8:15 各自、自由行動
3月5日(木)
【休養日】サンチャゴ巡礼~25日目~
今日の選句de聖句
【モーセは言った。「町を出たら、早速両手を広げて主に祈りましょう。雷はやみ、雹はもう降らないでしょう。あなたはこうして、大地が主のものであることを知るでしょう。】出エジプト記9:29
- 9:00 集合、ミーティング
- 9:15 各自、自由行動
3月6日(金)
【休養日】サンチャゴ巡礼~26日目~
今日の選句de聖句
【わたしは時季に応じて雨を与える。それによって大地は作物をみのらせ、野の木は実をみのらせる。】レビ記26:4
- 10:00 集合、ミーティング
- 10:20 各自、自由行動
3月7日(土)
サンチャゴ巡礼~27日目~
今日の選句de聖句
【大地よ、大地よ、大地よ、主の言葉を聞け。】エレミヤ書22:29
- 4:45 アルベルゲ出発
- 5:30 バス出発
- 10:30 マドリッド到着
- 11:10 昼休憩
- 12:50 各自、自由行動
- 15:10 カタール航空150便出発
- 23:50 ドーハ
3月8日(日)
【帰国日】サンチャゴ巡礼~28日目~
今日の選句de聖句
【 主なる神は言われる。わたしは大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく、水に渇くことでもなく、主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。】アモス書8:11
- 1:55 カタール航空806便出発
- 17:45 成田空港
- 18:10 解散
サンティアゴ巡礼道プログラムについては学長の部屋でも紹介しております
東京新聞に今回のサンティアゴ巡礼道プログラムの記事が掲載されました。
プログラム引率責任者の桃井和馬教授の教員紹介はこちらです。
引率者の桃井和馬先生による過去の巡礼道体験記が昨年12月にNHKで放映されました。
こころの時代~宗教・人生~「戦場から祈りへ」
本学は海外プログラムが盛んで、「国際性」の分野で3年連続 首都圏女子大1位の評価をいただいております。
本学はキリスト教主義の大学として礼拝やチャペルコンサートなど多彩な活動を行っています。